このページでは、2022年(韓国競馬発祥100周年記念の年)に韓国馬事会(KRA)が実施した、「다시 뛰는 명마 100투더 트랙」=「甦る100年の名馬たち」?TOP10を紹介します。要は、ファン投票で選ばれた韓国競馬史上に残る10頭の名馬です。日本でいう「20世紀の100名馬」みたいなものでしょうか。

1位 미스터파크(MISTER PARK、ミスターパーク)
堂々の1位に選ばれたのは미스터파크=ミスターパーク。2009年~2011年に韓国競馬公式記録となる17連勝を達成した名馬です。日本でいう「持込馬」(母馬が受胎した状態で輸入され、国内で産まれた馬)のため当時は出走できるレースが制限されており、主に一般戦で連勝を積み重ねていました。それでも2010年にはグランプリを優勝し、重賞でも勝つ力があることを証明しています。また、日本の山本茜騎手が騎乗したこともあります。
しかし2012年6月3日釜山5R、故障を発症し競走中止。右前種子骨靱帯断裂の重傷で予後不良と診断され、その生涯を終えました(しかも、この時の鞍上は日本の楢崎功祐騎手でした)。この時の負担重量が63kgだったことで、韓国では負担重量を見直すべきという議論が巻き起こり、現在では最大重量が60㎏に制限されています。
その記録と悲劇的な最期により、特別に49日法要が行われたり、釜山競馬場に銅像が建てられたりと、当時の韓国競馬界に大きな影響をもたらしました。まさに「韓国のテンポイント」と言える存在です。
2位 가속도(KA SHOCK DO、カソクド)
2位は가속도=カソクドです。牝馬ながら、1990年・1991年のグランプリを制覇。特に1991年は59キロの酷量を背負いながら2着に9馬身差をつけて圧勝するなど、伝説的な実績を残しました。今なお史上最強牝馬に推す声も多い名牝です。
91年のグランプリを制覇した後、4歳で引退・繁殖生活に入りましたが、自身を超える産駒を輩出することはできず。2007年には日本のステイヤーズSなどを制したエアダブリンとの6番仔・FEELINGを産みましたが、活躍することはできませんでした。
3位 동반의강자(DONGBANUI GANGJA、トンバネガンジャ)
3位は동반의강자=トンバネガンジャ。2008年・2009年のグランプリを連覇し、2009年にはソウル年度代表馬に選ばれました。グランプリ連覇は上のカソクド以来、17年ぶり3頭目の快挙でした。また、2008年~2010年には12連勝を記録しています。
引退後は生殖能力に問題があったことから種牡馬とはならず。同時代のライバルだった터프윈(TOUGH WIN、タフウィン)と一緒に余生を過ごしています。

4位 새강자(SAEGANGJA、セガンジャ)
4位は새강자=セガンジャ。1998年のデビュー後、2戦目~2000年まで破竹の15連勝(当時の韓国記録)を達成。1999年には史上2頭目の、3歳馬によるグランプリ優勝を果たしました(1頭目はカソクド)。同時に、これが韓国産馬による初のグランプリ制覇となりました。
セン馬だったので9歳まで現役を続け、通算成績は58戦33勝。これも当時の韓国記録となる15億3638万2600Wを稼ぎました。
5位 트리플나인(TRIPLE NINE、トリプルナイン)
5位は日本のファンも聞き覚えがあるであろう트리플나인=トリプルナイン。2015年~2018年にかけて大統領杯を4連覇し、2018年には直後にグランプリも優勝。その実績から「競走馬大統領」の異名を与りました。
2017年にはドバイへ遠征。アル・マクトゥームチャレンジラウンド3で5着に入り、ゴドルフィンマイルにも出走しました(11着)。
通算獲得賞金は42億6055万2000Wで、위너스맨(WINNER’S MAN、ウィナーズマン)に次ぐ歴代2位の記録です。
6位 당대불패(DANGDAE BULPAE、タンデブルペ)
6位は당대불패=タンデブルペ。父は日本でダート重賞を2勝、G1・2着が3回あるビワシンセイキです。2010年~2012年に大統領杯を3連覇し、2012年には釜山の年度代表馬に選ばれました。同じ2007年生まれのミスターパーク、タフウィンとは幾多の名勝負を繰り広げ、特にミスターパークと対戦した2012年3月25日釜山7R(ミスターパーク最後の勝利となった競走)は日本でいう阪神大賞典のナリタブライアンVSマヤノトップガンに勝るとも劣らない名勝負となりました(上の動画の5:50~のレース)。

7位 대견(DAE KYEUN、テギュン)
7位は대견=テギュン。1995年のグランプリを優勝しましたが、それ以上に特徴的なのはその戦歴。セガンジャ同様セン馬だったテギュンはグランプリ優勝馬にもかかわらず12歳まで現役を続け、49戦29勝という成績を収めました。11歳のシーズンとなる2000年も7戦3勝、2着2回、3着2回と入着率100%を記録しています。
2001年9月に引退式を行った後は行方不明となり、その最期は誰にも分かりません。
8位 돌콩(DOLKONG、ドルコン)
8位はこちらも日本ファンにも印象を残した돌콩=ドルコン。2018年のコリアカップでロンドンタウンの2着となった翌年、ドバイ遠征を敢行しました。3走目のカーリンハンデキャップで2着に9馬身差をつける圧勝を飾ると、続くアル・マクトゥームチャレンジラウンド3ではキャッペッザーノ、サンダースノー(後にドバイワールドカップ連覇)に次ぐ3着に健闘。韓国馬として初めてドバイワールドカップに出走しました(11着)。
帰国後は韓国G2を2勝する活躍を示しましたが、骨折により3年の休養を余儀なくされ、復帰後も全盛期の能力を発揮できず。2023年、調教中の事故で死亡しました。
9位 경부대로(GYEONGBUDAERO、キョンブデロ)
9位は경부대로=キョンブデロ。2012年は日本の皐月賞に当たるKRAカップマイルを制覇したものの、その後のダービー、菊花賞に当たる農林畜産食品部長官杯、大統領杯とビッグレースでことごとく3着に終わり、以降も善戦マンの印象を持たれます。
しかし、2014年に骨折による半年の休養を乗り越え、大統領杯・グランプリを連勝。堂々の年度代表馬に選ばれました。
10位 포경선(PO GYEONG SEON、ポギョンソン)
最後となる10位は포경선=ポギョンソン。韓国競馬では1984年以前の記録が散逸しており、現在公式として残っているのは1985年以降の記録ですが、ポギョンソンは1983年にデビューしているため、正確な記録は不明です(公式は25戦20勝、非公式では43戦31勝)。
1985年~1987年にかけて、86年のグランプリを含め15連勝を記録した他、韓国競馬で初めて引退式を挙行したり、1991年の死亡後には競馬博物館に剥製として展示されたりと、現代韓国競馬の黎明期を支えた名馬でした。

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